2015年12月21日
介護社会について
今日はいつになくダークな内容です。
介護に1000万円ははした金だそうです。
介護では1000万円なんかあっという間になくなってしまうそうです。
私はこれを見て思ったことがあります。
これは国の政策だけでは限界があるな、と。
国民一人ひとりの意識が変わらなければ無理があるな、と。
避難を承知で言いますが、
このレベルの介護者を助けるということは、将来的に生産性がほぼ見込めない人間に何千万円ものお金を投じるということ。それはすなわち国が疲弊するだけです。
本当に可哀想ですが、紛れも無い事実です。
見殺しにしろってことでないです。
介護が必要な人間にお金を使うなってことでもないです。
ただ、これから介護が必要な人間は増幅する一方です。
そしてその介護される側の人間が国とって利益をもたらす行動ができるか、生産性があるか、
というとまず絶望的です。
そんな方達全てに何千万円を投じたとしても、ほんのすこし寿命を長引かせるだけで、
後の意味がほとんど皆無なのです。
現にこのマンガの主人公は母親の介護に追われるがゆえに自分の生産性すらも犠牲にしています。
お金は湯水のごとく現れるものではありません。
国の政策では限界があります。
この問題はどんなに素晴らしい政治家がどんなに素晴らしい政策を考案したとしても解決できないと思います。
お金には限界がありますし、そのお金を生み出すには生産性が必要だからです。
お金も生産性も両方奪われるような問題に対してお金や施策だけで立ち向かうには無理があるのです。
では、どうすべきか?
国民一人ひとりが介護が必要な身体にならないよう意識し、努力するのです。
つまり健康生活を心がけ、介護が必要になるような身体になってしまう確率を国民全員で下げるということです。
健康に気を使っていない人はまだまだたくさんいます。
そういう人ほど早いうちから認知症やアルツハイマーや介護が必要な身体になってしまいます。
だから一人でも多くの人がそうならないようなからだ作りをすることが一番の解決作だと思います。
介護が必要になる人の確率が10分の一、100分の一になればグッと違うはず。
1000人の生産性を以って一人を介護するのと
10人の生産性を以って一人を介護するのとではまったく桁違いです。
今ではバブル経済時には決して誰も出なかったような言葉が
普通に出てきます。
「生活保護受給の方が年金より高いってどういうことなの?」
「生活保護もらったほうが働くより稼げるじゃん」
「働いたら負けかな」
「在日に生活保護なんてありえない」
等など裕福な時代では決して誰も発さなかったような言葉が
今の時代はポンポン出てきます。
そりゃあやっぱりいまは厳しい時代ですから
他人の面倒を見るほどの余裕が無くなってきているということでしょう。
その気持もわからなくはありません。
でも人間余裕がなくなれば他人の心配まで考えられなくなるものなのです。
だからこそ、
心配事そのものを減らす努力が必要なのです。
それは政治家がやることではありません。
僕達国民がやることなのです。
何故ならばもうすでに法律として存在しますから
http://goo.gl/v7X3ID
介護に1000万円ははした金だそうです。
介護では1000万円なんかあっという間になくなってしまうそうです。
私はこれを見て思ったことがあります。
これは国の政策だけでは限界があるな、と。
国民一人ひとりの意識が変わらなければ無理があるな、と。
避難を承知で言いますが、
このレベルの介護者を助けるということは、将来的に生産性がほぼ見込めない人間に何千万円ものお金を投じるということ。それはすなわち国が疲弊するだけです。
本当に可哀想ですが、紛れも無い事実です。
見殺しにしろってことでないです。
介護が必要な人間にお金を使うなってことでもないです。
ただ、これから介護が必要な人間は増幅する一方です。
そしてその介護される側の人間が国とって利益をもたらす行動ができるか、生産性があるか、
というとまず絶望的です。
そんな方達全てに何千万円を投じたとしても、ほんのすこし寿命を長引かせるだけで、
後の意味がほとんど皆無なのです。
現にこのマンガの主人公は母親の介護に追われるがゆえに自分の生産性すらも犠牲にしています。
お金は湯水のごとく現れるものではありません。
国の政策では限界があります。
この問題はどんなに素晴らしい政治家がどんなに素晴らしい政策を考案したとしても解決できないと思います。
お金には限界がありますし、そのお金を生み出すには生産性が必要だからです。
お金も生産性も両方奪われるような問題に対してお金や施策だけで立ち向かうには無理があるのです。
では、どうすべきか?
国民一人ひとりが介護が必要な身体にならないよう意識し、努力するのです。
つまり健康生活を心がけ、介護が必要になるような身体になってしまう確率を国民全員で下げるということです。
健康に気を使っていない人はまだまだたくさんいます。
そういう人ほど早いうちから認知症やアルツハイマーや介護が必要な身体になってしまいます。
だから一人でも多くの人がそうならないようなからだ作りをすることが一番の解決作だと思います。
介護が必要になる人の確率が10分の一、100分の一になればグッと違うはず。
1000人の生産性を以って一人を介護するのと
10人の生産性を以って一人を介護するのとではまったく桁違いです。
今ではバブル経済時には決して誰も出なかったような言葉が
普通に出てきます。
「生活保護受給の方が年金より高いってどういうことなの?」
「生活保護もらったほうが働くより稼げるじゃん」
「働いたら負けかな」
「在日に生活保護なんてありえない」
等など裕福な時代では決して誰も発さなかったような言葉が
今の時代はポンポン出てきます。
そりゃあやっぱりいまは厳しい時代ですから
他人の面倒を見るほどの余裕が無くなってきているということでしょう。
その気持もわからなくはありません。
でも人間余裕がなくなれば他人の心配まで考えられなくなるものなのです。
だからこそ、
心配事そのものを減らす努力が必要なのです。
それは政治家がやることではありません。
僕達国民がやることなのです。
何故ならばもうすでに法律として存在しますから
http://goo.gl/v7X3ID
Posted by 細田幸平 at 12:21│Comments(0)
│ブログ