2014年12月25日
船場吉兆事件
1991年に吉兆の創業者・湯木貞一が子供たちに吉兆の暖簾分けを行なったとき、
三女・湯木佐知子の夫(婿養子)であり吉兆の板前でもあった湯木正徳が当時の吉兆船場店を与えられて開業。
その後正徳社長と経営陣でもあった妻子らにより1999年には福岡市に博多店を開店して九州進出を果たし、また大阪の阪急百貨店や福岡の博多大丸と提携し、吉兆ブランドの商品を販売するなど多角化を進めていた。
しかし過剰ともいえる採算重視の方針が仇となり、2007年に賞味期限切れや産地偽装問題が発覚し全店舗で営業を休止。
翌2008年1月に民事再生法の適用や経営陣刷新(正徳社長をはじめとする佐知子新社長を除く幹部の退任)を行った上で営業を再開したが、2008年5月、客の食べ残し料理の使い回しが発覚。
これが追い討ちとなり客足が遠退き採算が見込めなくなった為、5月28日に大阪市保健所に飲食店の廃業届を提出した。
船場吉兆事件、今から6年前の話ですが、
当時衝撃的な事件として取り上げられました。
私は、利益は十分取るべきだという考え方ですが、
その利益のほとんどはお客様に還元すべきであるという精神を忘れてはいけないと強く思います。
利益を私服に当てたとき、その時、その会社は終わりを迎えるでしょう。
問題はお客さんは意外に鈍いことです。
おそらく、この会社はかなり前からこういった体質に陥っていたのだと思いますが、
お客さんはネームバリューと雰囲気に圧倒され、見抜けなかったのだと思います。
こういった企業が世の中から自然に淘汰されていくには
お客さんも見る目を養う必要があると思います。
こんな腐った体質でも経営できていたこと自体が本来不自然なのですから。。。
三女・湯木佐知子の夫(婿養子)であり吉兆の板前でもあった湯木正徳が当時の吉兆船場店を与えられて開業。
その後正徳社長と経営陣でもあった妻子らにより1999年には福岡市に博多店を開店して九州進出を果たし、また大阪の阪急百貨店や福岡の博多大丸と提携し、吉兆ブランドの商品を販売するなど多角化を進めていた。
しかし過剰ともいえる採算重視の方針が仇となり、2007年に賞味期限切れや産地偽装問題が発覚し全店舗で営業を休止。
翌2008年1月に民事再生法の適用や経営陣刷新(正徳社長をはじめとする佐知子新社長を除く幹部の退任)を行った上で営業を再開したが、2008年5月、客の食べ残し料理の使い回しが発覚。
これが追い討ちとなり客足が遠退き採算が見込めなくなった為、5月28日に大阪市保健所に飲食店の廃業届を提出した。
船場吉兆事件、今から6年前の話ですが、
当時衝撃的な事件として取り上げられました。
私は、利益は十分取るべきだという考え方ですが、
その利益のほとんどはお客様に還元すべきであるという精神を忘れてはいけないと強く思います。
利益を私服に当てたとき、その時、その会社は終わりを迎えるでしょう。
問題はお客さんは意外に鈍いことです。
おそらく、この会社はかなり前からこういった体質に陥っていたのだと思いますが、
お客さんはネームバリューと雰囲気に圧倒され、見抜けなかったのだと思います。
こういった企業が世の中から自然に淘汰されていくには
お客さんも見る目を養う必要があると思います。
こんな腐った体質でも経営できていたこと自体が本来不自然なのですから。。。
Posted by 細田幸平 at 13:50│Comments(0)
│食の業界